250・実用バイクで地味な時代に、走りのマシン・好き好きと叫びました。私が上位に推奨する人気バイクは、ヤマハの歴史に光ります、旧ヤマハテストコース、浜北の天竜川河川敷で輝き走り仕上げられた、初の本格的市販車250スポーツYDS-1.この改造車は当時はスクランブラーと呼ばれ、北関東の高原レースで暴れまくった、東京支店から・チームサポートに参加・記憶懐かしく(笑)。
250・1959年昭和34年ころ高校2年この宝に出会う・スパークプラグが燃料混合気の不具合で、発火しなくなり、この整備も楽しき思いで。私をヤマハ狂にした。このYD-1の排気音とキャブレター調整の楽しさかな?(笑)。。
650・米国市場視察後、4サイクル信者に変身・当時のヤマハは、世界のTOP2サイクルメーカー、視察後ヤマハを4ストメーカーに大転換運動・間もなく実現・初の4ストロークビッグバイク市販車・XS-1。スタイル排気音ピカイチでした・愛情そそぎました(笑)。ヤマハキチに猛進そして、火をつけたのは・小池久雄社長・有難う
1000・驚きビックリ・レーサー風にカウリングを付けた市販車、レースでも大活躍、度肝を抜くほどの新発想バイクはYZF-R1、今も主役。当時は、レーサー型このまま・高排気音のバイクが街を走れました、素敵な時代でした(笑)。
50・FS-1、免許制度が簡単で50ccバイクが花形時代、全高校生が乗るほど・バイク花形時代。シンガポール/マレーシヤ二ヵ2ヵ月間公道テスト。最速100キロ出るまで、現地で、エンジンの馬力アップ使命でした(笑)。
250・牧場を意識したオフ車。米国の牧場や崖地で走行テスト・US調査・走行テスト。私は45度急斜面・怖くてどん尻走行(笑)。US人の力で、牧場バイクが完成、後日オーストラリア視察で広大な牧場でこの、DT-1が、馬の代わりに活躍、感動。国内でも、優しいモトクロスに即出られ、高販売感謝。
好きバイク2019モーターショーに、ヤマハ社長の”近未来発売の、倒れないバイク「「MW-VISIO N」です、数年以内に市販したいと明言・今トリシテイ等世界にヤマハ三輪光る人気、その大元。
1200・ある時代アメリカ市場は”スピード・かっ飛び・ぶっちぎり加速”時代。高速テストで有名な、ソルトレイク地にて、スロットル全開で、ただただ王者目指して疾走した王者V-MAX名車の中の名車を、本当は一番好きバイクあげたい(笑)
500・”世界公認レーサー”真黄色のYZR500,,この頃車格基準が複雑で、排気量や馬力や2スト4ストなど規則が曖昧で、日本のメーカーは苦戦。あの時代、黄色で超派手デビューでした。講習会にも参加世界で黄色が走り勝ちました。ゼッケン2番アゴスチーニの走りは強烈でした。
125・ナナハン殺しとも言われたRD250を学び・新125ccツイン試作車、性能、デザイン、人気など”突風の様に騒ぎを起こした。4スト信者の私も後、東京勤務から設計課に呼ばれてこの125ツインのエンジン設計製図を担当して、2スト2気筒を、私の4ストフアンを隠して、好きに(笑)、しかしコスト高く販売に至らずこのテスト車の画像は無しエンジンのみ。
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